
神社紹介


由緒
正五位相模守丸山朝臣年国卿が、故あって此の地に土着。
その子孫の丸山右衛門丞年清が本願主となり、応永31年(1424年)に山城国男山八幡(岩清水八幡)より勧請。
八幡勧請から数代の子孫で神主の丸山年信が本願主となり、永正2年(1505年)3月15日に当国の総鎮守厳島神社に詣でて、厳島大明神を勧請。(以上、社伝より)
昭和18年(1943年)、社殿再建。
昭和50年(1975年)秋、御鎮座550年祭を斎行。
令和 6年(2024年)、御鎮座600年を迎える。

小早川隆景公とのゆかり
頼杏坪、加藤棕盧、頼舜燾、黒川方桝、津村聖山、吉田吉甫、正岡元翼によって著作・編纂され、文政8年(1825年)に完成した安芸国広島藩の地誌、「芸藩通志」には、次の一節がある。
八幡厳島神社 須波村にあり 同殿に祭る
弘治丙辰(1556年) 小早川隆景 皇后八幡神社再建
隆景の率いた小早川水軍は、毛利氏が一躍世に出た弘治元年(1555年)の厳島の戦いで、陶晴賢率いる大内水軍を破って海上を封鎖。毛利軍の勝利に大いに貢献した。
この厳島の戦いへの出陣前、隆景が戦勝祈願をしたのが、皇后八幡神社である。
その戦いの翌年の弘治丙辰(1556年)、厳島の戦いに勝利した小早川隆景は皇后八幡神社に寄進。
社殿が再建された。

御祭神
〇縁結びの神様
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応神天皇(おうじんてんのう)
記紀の所伝の第15代天皇誉田別命(ほんだわけのみこと)の漢風諡号(おくりな)。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇子。
母は神功皇后(じんぐうこうごう)。 -
神功皇后(じんぐうこうごう)
記紀所伝の仲哀天皇の皇后。
息長帯日売(おきながたらしひめ)の漢風諡号。
天皇の死後、新羅に出陣、凱旋の後筑紫の地で応神天皇を出産。69年間摂政を務めたという。
縁結びの神様として知られる。 -
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
記紀の所伝で、第14代天皇。帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)の漢風諡号。日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2皇子。
皇后は息長帯日売(おきながたらしひめ)(神功皇后)。
熊襲(くまそ)征討におもむき、筑前橿日宮(かしひのみや)で没したという。
〇海上安全、交通安全の神様
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市寸島日売命(いちきしまひめのみこと)
宗像三神(むなかたさんじょしん)の一人。
狭依毘売命(さよりひめのみこと)ともいう。
厳島神社の祭神として知られる。
海上交通を守護する海の神である。
軍神である。
〇戦勝の神様
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建内宿禰(たけのうちのすくね)
軍政に長(た)け、国内平定に活躍した長寿の人。
景行天皇のときの北方視察、神功皇后の朝鮮半島出兵への参加。応神天皇誕生後の忍熊王(おしくまおう )の反乱討伐などが知られている。

神社の四季
皇后八幡神社で撮影されたものから、季節に応じたものをご紹介します。